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御坊ゆかりの先人たち 前田 清右衛門・酒井 治輔・中西 治郎助・佐藤 栄三郎

農作物の改良に尽くした人たち

前田 清右衛門 ・ 酒井 治輔 ・ 中西 治郎助 ・ 佐藤 栄三郎

 江戸時代の終わり頃から、この地方では、甘蔗と呼ばれたさつまいもの栽培が始められていました.寛政2年(1790)頃に野口村の前田清右衛門が、讃岐の国(現香川県)から甘蔗の苗をとりよせて栽培したところ、たちまち各地にひろまったと伝えられています。
 その後、文化4年(1807)頃には、名田村の大庄屋、酒井治輔が名田村の上野・楠井ではじめてさつまいもを栽培したとも伝えられています。幾日も雨が降らず稲の穂が出なかったり、長雨が続いて毎日寒くて稲が実らないこともあり、大飢饉となったりして苦しい生活をのりこえるため、米作りだけでなく、畑作物の食糧づくりにさつまいもづくりをとり入れてきたのでしょう。前田清右衛門も酒井治輔も、飢饉から救ったり、少しでも楽な暮らしができるようにと、自分が経験したこともないいもづくりに挑戦していったのです。
 はじめてのことをやり出すことは勇気のいることです。それを実行にうつしていったことはたいへんなことであったと思います。
 明治20年頃まで栽培していたさつまいもの品種は「九州いも」と言われるもので、収穫量が少ないうえに冬期の貯蔵がむずかしく、半分は腐らせてしまいました。それで農家は、収穫すると安い値段でも仕方なく、とれたいもの大部分を早く売らなければなりませんでした。明治30年(1897)頃、当時二万キログラム前後のさつまいもを船に積み込んで、和歌山市や、大阪・神戸市方面の問屋へ卸売りをしていた中西治郎助という人が、和歌山の市場から評判のよい「源氏」といわれるさつまいもの種を手に入れ、それを試作した結果、「九州いも」より、収穫量も多く、甘味もあり、耐寒性(寒さに強い)に優れていることが実証されました。そこでこの「源氏」を各農家に奨め、ひろめていったので農家の収益は一段と増加し、水田の少ない名田村の主産物として農家の経済を支えてきたのです。
 畑作でその他、除虫菊、けし、西瓜と、その時その時の収益のよい作物を栽培し、養蚕も古くから営まれて農家の副業として多くの収入を得ました。
 昭和12年カナダから帰国した佐藤栄三郎が、オランダえんどうの種子を持ち帰り、自分の畑で栽培し、農作物として生産することに成功しました。佐藤は、このえんどうの調理法や栽培法を教え、種子を欲しいという人には惜しみなく分け与えたので、オランダえんどうの栽培は、暖かく霜のおりない名田村の気候とうまくかみ合って 広く栽培され農家の収益は一層増加しました。
 前田清右衛門・酒井治輔・中西治郎助らの苦労や努力によって名田村のさつまいもの品質はよくなり、生産量も増加し、佐藤栄三郎のオランダえんどうの栽培成功で名田村の農業はますます盛んになり、多くの人々に農産物がとどけられ、みんなの生活も向上していったのです。
 水の少ない名田村の農業にはどうしても水が必要でした。日高川から水を引いてくる畑かん事業は、長い年月と多くの人々の苦労や努力・協力で成功し、そのおかげで多くの作物が生産され、現在は有名な花の生産地となりました。

中西翁の碑

寒さに強いさつまいもを普及させた中西次郎助の記念碑

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